ファーイーストブルーイングの創業者、山田司朗さんはITビジネスを離れてビール造りに転じた
1975年生まれの山田司朗さんはファーイーストブルーイングというクラフトビール会社の創業者だ。大学卒業後に入社した証券会社のベンチャーキャピタル(VC)業務を振り出しに、黎明期のサイバーエージェントへ転職。さらに、「ホリエモン」こと堀江貴文さんから声を掛けられ参加したオン・ザ・エッヂ(後のライブドア)での経営企画など、2度の転職を経て、英国に渡る。
これは転職ではなく「転学」で、英ケンブリッジ大学に進み、MBA(経営学修士)を目指した。「ケンブリッジのMBA」を手にすることで会社にもより大きな貢献ができるという考えもあったのだろう。足かけ5年尽くしてきた会社も彼の希望を快く受け止めてくれたらしい。
山田「上司に相談したら『良いチャンスだ。もう一回り大きくなって戻ってこい』とあたたかく送り出してくれました」
ところが、英国に渡って程なく、ライブドアにまつわるショッキングなニュースが日本から次々と届き始めた。堀江社長(当時)をはじめ、一緒に働いていた仲間たちが追及されたり亡くなったり。会社の状況が極めて厳しいことを知っても、はるかな地で気をもむことしかできなかった。やがて自分の帰る場所がなくなったという事態を冷静に受け止め、こう考えた。
山田「人生はどうなるか分からない。どうせ分からないなら後悔のない人生を歩みたい」
■英国留学で知ったクラフトの深み
「会社を移る」ではなく「起業する」へと意識をスイッチさせた瞬間だった。実は渡英後、難解な講義、きつい研究論文執筆のなか、唯一の心の支えが「クラフトビール」だった。伝統的にビール文化の進んだ欧米の本格的クラフトビールの深い味わいと多彩さに山田さんは魅了された。
「こんなビールもあったんだ」。あちこち飲んで回ったのはもちろん、講義のなかで「自国の料理に合ったクラフトビール造りに成功した人のケーススタディー」など「ビジネスとしてのクラフトビール」も学べた。
長らく我が国の飲食店では「ビールを」と注文すれば、料理のジャンルに関係なく、4つのメジャーブランドの、どれがどれとも区別しにくい「アルコール度数5%前後の黄色い炭酸入りの飲み物」が提供されてきた。多様な味よりも「キンキンに冷えた」や「のどごし」「キレ」を強調した「万人向けのアルコール飲料」が一般的だった。
この「既存ビールへの見解」は、山田さんではなく、あくまでも私、ビール素人である梶原の個人的な感想に過ぎない。居酒屋の「1500円追加すれば生ビール飲み放題」のキャッチに飛びつき、元を取ろうと、ジョッキ5、6杯をがぶ飲みした若き日の「私のビール生活」を反省したついでに私の口をついて出てしまった(近年は大手各社もおいしいクラフト系を展開している)。
■日本でのクラフト普及を確信
山田「文明が発展すればするほど、量ばかりガブガブ飲むスタイルから、酒量を抑えて、貴重なビールを少ない量でゆっくり味わって堪能するようになる。近年の健康志向もその後押しをするようになりましたから、日本の状況も変わるでしょうね」
山田さんによれば、英国に限らず、留学中に足を伸ばした欧州各国では多くの店が「ビールは何になさいますか?」と聞いてくるらしい。各店がよりすぐって用意した、いくつもの銘柄のクラフトビールのうちの「どれを」「どんな食事に合わせたいのか」を知りたがるわけだ。客が自分の好みを言うと、それに一番合った個性を持つ、店自慢のクラフトビールを紹介してくれることが珍しくないようだ。
山田「個性の際立った味のクラフトビールを一度知ってしまうと、コモディティー(商品)化されたビールに後戻りできないんですね。人は、自分好みの味を探す喜びを奪われたくないものです。日本も必ずそうなるんだと思います」
MBAを得て帰国すると、山田さんは、転職人生で培ったIT(情報技術)系、VC系の技術を生かした「アルバイト」で起業資金を蓄えながら、クラフトビール人脈を探り、修行するという5年間を過ごした。そして、2011年。山田さんは自宅を本社として「日本クラフトビール」を立ち上げた。
■高収入の職種を見切った理由
ところで、山田さんとのインタビューが今回実現したのは、2年ほど前のある夜、たまたま購入したクラフトビールがきっかけだ。当時、中目黒駅(東京都目黒区)前にできたばかりの「蔦屋書店」にふらりと立ち寄り、「なんで本屋さんに?」と不思議に思って手にした「KAGUA」を試しに買って帰宅し、風呂上がりに飲んでみた。その瞬間、しゃれや冗談抜きに「和(わっ)!」と声をあげたのをいまだに思い出す。
インタビューの中で私はしばしば下品で意地悪なことを聞く。
梶原「VCとかIT企業向け経営企画の仕事からケンブリッジでMBA取得というキャリアなら、なにもビール醸造という泥臭い製造業より外資系コンサルあたりで、もっと楽に稼げたんじゃないですか?(下品でしょう?)」
山田「もうけという点ではその通りです。しかし、自分が今、何をやっているか、人に説明するのがこんなに簡単な職業もないと思うんです」
■商品に語ってもらえる「自分」
梶原「VCとか、IT向け経営企画って多分、私レベルだと詳しく説明されればされるほどわかんないと確かに思いますね」
山田「僕の場合は『これ、造ってるんです』って、うちのビールをお渡しするんです。そうすると相手は、うちがデザインしたボトルの手触り、栓を抜いたときのにおい、口に含んだときの味わい、全て一瞬で理解してもらえます」
■社名に込めた自覚とウイット
その後、会社の規模拡大に伴い、社名をファーイーストブルーイングに変えている。「ファーイースト」とは極東。欧州や米国などの「世界の中心」から東に遠く離れた我が国を表現するとき使われる言葉だ。
山田「命名理由の一つは、ビールの歴史や伝統においても『辺境』であるという自覚を忘れないで努力し続けるため。もう一つは、ビール造りに欠かせない大事な酵母(イースト)にも掛けたしゃれでもあります。欧米人なんかは結構ニヤッと受けてくれたりするんです」
こういう「自覚」と「しゃれっ気」のせいで、というわけではもちろんないが、山田さんのビールは、国内はもちろん、世界20カ国近い国の一流料理店やホテルで「和食にピッタリのクラフトビール」として支持されていると、うれしそうに話してくれた。
私の「クラフトビール好き」は「文明」とか「健康志向」ではなく、単に年齢のせいで、飲む量が減り、以前より少量でより満足のいくお酒をと探していたらクラフトビールに行きついたというだけ。じっくり味わいながら飲むのはせいぜいグラス3杯だから、「ガブ飲み時代」よりむしろ安くあがることのほうが多い。
これは転職ではなく「転学」で、英ケンブリッジ大学に進み、MBA(経営学修士)を目指した。「ケンブリッジのMBA」を手にすることで会社にもより大きな貢献ができるという考えもあったのだろう。足かけ5年尽くしてきた会社も彼の希望を快く受け止めてくれたらしい。
山田「上司に相談したら『良いチャンスだ。もう一回り大きくなって戻ってこい』とあたたかく送り出してくれました」
ところが、英国に渡って程なく、ライブドアにまつわるショッキングなニュースが日本から次々と届き始めた。堀江社長(当時)をはじめ、一緒に働いていた仲間たちが追及されたり亡くなったり。会社の状況が極めて厳しいことを知っても、はるかな地で気をもむことしかできなかった。やがて自分の帰る場所がなくなったという事態を冷静に受け止め、こう考えた。
山田「人生はどうなるか分からない。どうせ分からないなら後悔のない人生を歩みたい」
■英国留学で知ったクラフトの深み
「会社を移る」ではなく「起業する」へと意識をスイッチさせた瞬間だった。実は渡英後、難解な講義、きつい研究論文執筆のなか、唯一の心の支えが「クラフトビール」だった。伝統的にビール文化の進んだ欧米の本格的クラフトビールの深い味わいと多彩さに山田さんは魅了された。
「こんなビールもあったんだ」。あちこち飲んで回ったのはもちろん、講義のなかで「自国の料理に合ったクラフトビール造りに成功した人のケーススタディー」など「ビジネスとしてのクラフトビール」も学べた。
長らく我が国の飲食店では「ビールを」と注文すれば、料理のジャンルに関係なく、4つのメジャーブランドの、どれがどれとも区別しにくい「アルコール度数5%前後の黄色い炭酸入りの飲み物」が提供されてきた。多様な味よりも「キンキンに冷えた」や「のどごし」「キレ」を強調した「万人向けのアルコール飲料」が一般的だった。
この「既存ビールへの見解」は、山田さんではなく、あくまでも私、ビール素人である梶原の個人的な感想に過ぎない。居酒屋の「1500円追加すれば生ビール飲み放題」のキャッチに飛びつき、元を取ろうと、ジョッキ5、6杯をがぶ飲みした若き日の「私のビール生活」を反省したついでに私の口をついて出てしまった(近年は大手各社もおいしいクラフト系を展開している)。
■日本でのクラフト普及を確信
山田「文明が発展すればするほど、量ばかりガブガブ飲むスタイルから、酒量を抑えて、貴重なビールを少ない量でゆっくり味わって堪能するようになる。近年の健康志向もその後押しをするようになりましたから、日本の状況も変わるでしょうね」
山田さんによれば、英国に限らず、留学中に足を伸ばした欧州各国では多くの店が「ビールは何になさいますか?」と聞いてくるらしい。各店がよりすぐって用意した、いくつもの銘柄のクラフトビールのうちの「どれを」「どんな食事に合わせたいのか」を知りたがるわけだ。客が自分の好みを言うと、それに一番合った個性を持つ、店自慢のクラフトビールを紹介してくれることが珍しくないようだ。
山田「個性の際立った味のクラフトビールを一度知ってしまうと、コモディティー(商品)化されたビールに後戻りできないんですね。人は、自分好みの味を探す喜びを奪われたくないものです。日本も必ずそうなるんだと思います」
MBAを得て帰国すると、山田さんは、転職人生で培ったIT(情報技術)系、VC系の技術を生かした「アルバイト」で起業資金を蓄えながら、クラフトビール人脈を探り、修行するという5年間を過ごした。そして、2011年。山田さんは自宅を本社として「日本クラフトビール」を立ち上げた。
■高収入の職種を見切った理由
ところで、山田さんとのインタビューが今回実現したのは、2年ほど前のある夜、たまたま購入したクラフトビールがきっかけだ。当時、中目黒駅(東京都目黒区)前にできたばかりの「蔦屋書店」にふらりと立ち寄り、「なんで本屋さんに?」と不思議に思って手にした「KAGUA」を試しに買って帰宅し、風呂上がりに飲んでみた。その瞬間、しゃれや冗談抜きに「和(わっ)!」と声をあげたのをいまだに思い出す。
インタビューの中で私はしばしば下品で意地悪なことを聞く。
梶原「VCとかIT企業向け経営企画の仕事からケンブリッジでMBA取得というキャリアなら、なにもビール醸造という泥臭い製造業より外資系コンサルあたりで、もっと楽に稼げたんじゃないですか?(下品でしょう?)」
山田「もうけという点ではその通りです。しかし、自分が今、何をやっているか、人に説明するのがこんなに簡単な職業もないと思うんです」
■商品に語ってもらえる「自分」
梶原「VCとか、IT向け経営企画って多分、私レベルだと詳しく説明されればされるほどわかんないと確かに思いますね」
山田「僕の場合は『これ、造ってるんです』って、うちのビールをお渡しするんです。そうすると相手は、うちがデザインしたボトルの手触り、栓を抜いたときのにおい、口に含んだときの味わい、全て一瞬で理解してもらえます」
■社名に込めた自覚とウイット
その後、会社の規模拡大に伴い、社名をファーイーストブルーイングに変えている。「ファーイースト」とは極東。欧州や米国などの「世界の中心」から東に遠く離れた我が国を表現するとき使われる言葉だ。
山田「命名理由の一つは、ビールの歴史や伝統においても『辺境』であるという自覚を忘れないで努力し続けるため。もう一つは、ビール造りに欠かせない大事な酵母(イースト)にも掛けたしゃれでもあります。欧米人なんかは結構ニヤッと受けてくれたりするんです」
こういう「自覚」と「しゃれっ気」のせいで、というわけではもちろんないが、山田さんのビールは、国内はもちろん、世界20カ国近い国の一流料理店やホテルで「和食にピッタリのクラフトビール」として支持されていると、うれしそうに話してくれた。
私の「クラフトビール好き」は「文明」とか「健康志向」ではなく、単に年齢のせいで、飲む量が減り、以前より少量でより満足のいくお酒をと探していたらクラフトビールに行きついたというだけ。じっくり味わいながら飲むのはせいぜいグラス3杯だから、「ガブ飲み時代」よりむしろ安くあがることのほうが多い。
MBAが醸すクラフトビール 「帰る場所」失い起業
2018/9/27
■高収入の職種を見切った理由
ところで、山田さんとのインタビューが今回実現したのは、2年ほど前のある夜、たまたま購入したクラフトビールがきっかけだ。当時、中目黒駅(東京都目黒区)前にできたばかりの「蔦屋書店」にふらりと立ち寄り、「なんで本屋さんに?」と不思議に思って手にした「KAGUA」を試しに買って帰宅し、風呂上がりに飲んでみた。その瞬間、しゃれや冗談抜きに「和(わっ)!」と声をあげたのをいまだに思い出す。
インタビューの中で私はしばしば下品で意地悪なことを聞く。
梶原「VCとかIT企業向け経営企画の仕事からケンブリッジでMBA取得というキャリアなら、なにもビール醸造という泥臭い製造業より外資系コンサルあたりで、もっと楽に稼げたんじゃないですか?(下品でしょう?)」
山田「もうけという点ではその通りです。しかし、自分が今、何をやっているか、人に説明するのがこんなに簡単な職業もないと思うんです」
■商品に語ってもらえる「自分」
梶原「VCとか、IT向け経営企画って多分、私レベルだと詳しく説明されればされるほどわかんないと確かに思いますね」
山田「僕の場合は『これ、造ってるんです』って、うちのビールをお渡しするんです。そうすると相手は、うちがデザインしたボトルの手触り、栓を抜いたときのにおい、口に含んだときの味わい、全て一瞬で理解してもらえます」
梶原「ほ?!」
山田「山田さんって、今はこれを造ってるんだって」
梶原「確かに」
山田「自分がやっていることを瞬時に伝えられる仕事を選んでよかったと思うんです」
「転職」「転学」を経て探り当てた「天職」をいとおしむように語る山田さんだった。
※「梶原しげるの「しゃべりテク」」は毎月第2、4木曜更新です。次回は2018年10月11日の予定です。
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーに。92年からフリー。司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員。著書に「すべらない敬語」「まずは『ドジな話』をしなさい」など。
梶原しげる
ところで、山田さんとのインタビューが今回実現したのは、2年ほど前のある夜、たまたま購入したクラフトビールがきっかけだ。当時、中目黒駅(東京都目黒区)前にできたばかりの「蔦屋書店」にふらりと立ち寄り、「なんで本屋さんに?」と不思議に思って手にした「KAGUA」を試しに買って帰宅し、風呂上がりに飲んでみた。その瞬間、しゃれや冗談抜きに「和(わっ)!」と声をあげたのをいまだに思い出す。
インタビューの中で私はしばしば下品で意地悪なことを聞く。
梶原「VCとかIT企業向け経営企画の仕事からケンブリッジでMBA取得というキャリアなら、なにもビール醸造という泥臭い製造業より外資系コンサルあたりで、もっと楽に稼げたんじゃないですか?(下品でしょう?)」
山田「もうけという点ではその通りです。しかし、自分が今、何をやっているか、人に説明するのがこんなに簡単な職業もないと思うんです」
■商品に語ってもらえる「自分」
梶原「VCとか、IT向け経営企画って多分、私レベルだと詳しく説明されればされるほどわかんないと確かに思いますね」
山田「僕の場合は『これ、造ってるんです』って、うちのビールをお渡しするんです。そうすると相手は、うちがデザインしたボトルの手触り、栓を抜いたときのにおい、口に含んだときの味わい、全て一瞬で理解してもらえます」
梶原「ほ?!」
山田「山田さんって、今はこれを造ってるんだって」
梶原「確かに」
山田「自分がやっていることを瞬時に伝えられる仕事を選んでよかったと思うんです」
「転職」「転学」を経て探り当てた「天職」をいとおしむように語る山田さんだった。
※「梶原しげるの「しゃべりテク」」は毎月第2、4木曜更新です。次回は2018年10月11日の予定です。
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーに。92年からフリー。司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員。著書に「すべらない敬語」「まずは『ドジな話』をしなさい」など。
梶原しげる
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