「MBA(経営学修士)は、現実のビジネスには役に立たない」。そう公言する人は少なくない。実際に学生が集まらず、募集停止に追い込まれた大学院もある。しかし同志社大学の加登豊教授は「MBAが役立たずなのではなく、取得者や派遣者がMBAを役立てる方法を理解していないだけだ」という――。
頭でっかち、転職……MBAへの否定的な意見
今回の一穴=MBAは諸悪の根源だと思っている
何をいまさらと思う人も多いかもしれない。いまの若手・中堅社員にはMBA(Master of Business Administration,経営学修士)という学位があることを知らない人が大多数だろう。それにも関わらず、今回は、MBAについて理解を深め、自社のマネジメント教育について再考してほしいと思う。
MBAについて否定的な意見をもつ人たちは、
・学校に通いだすと、仕事が中途半端になる
・知恵がつきすぎて、頭でっかちとなる
・MBA取得者は大きな仕事をやりたがり、現在の業務をないがしろにしがちになる
・学位を取得とすると、転職する人が多い
・知恵がつきすぎて、頭でっかちとなる
・MBA取得者は大きな仕事をやりたがり、現在の業務をないがしろにしがちになる
・学位を取得とすると、転職する人が多い
と考えているようだ。
確かに、組織の中で浮いた存在になる人は多くなるし、自社の経営の進め方に対して批判的な意見を持つようになるし、やめる人も出てくるだろう。MBAブームは過去のものとなっており、企業は社員にMBA取得を推奨することは少なくなっている。そのこともあって、MBA学位を授与する経営系大学院では一部をのぞいて、定員確保にきゅうきゅうとしているばかりでなく、募集停止に踏み切ったところすらある。法科大学院(ロースクール)や会計専門職大学院(アカウンティングスクール)と同様に、ビジネススクールは、存続の危機を迎えていると言ってよいだろう。
著名経営学者によるMBA批判の真意
このような時にこそ、読んでほしいのが下記の2冊の書籍である。
遠藤功『結論を言おう、日本人にMBAはいらない』(角川新書、2016年)。H.ミンツバーグ著・池村千秋訳『MBAが会社を滅ぼす:マネジャーの正しい育て方Managers not MBAs』(日経BP社、2006年)。ミンツバーグは世界的に有名な経営学の泰斗であり、遠藤は外資系コンサルティング会社の会長を務めるほか、早稲田大学では長きにわたって教鞭をとった。
この2冊は、いずれもMBAについて批判的な書名となっているが、書籍は書名で判断してはならない。内容をつぶさに検討する必要がある。ミンツバーグは同書で、マネジメントは「クラフト(=経験)」と「アート(=直感)」と「サイエンス(=分析)」の三つを適度にブレンドしたものであるべきで、欧米のビジネススクールで主流なサイエンスに偏りすぎたマネジメント教育はよくないと言っている。ただしマネジメント教育そのものを否定しているのではない。
遠藤は日本のMBA教育の問題点をするどく批判する一方で、マネジメント教育それ自体を否定しているのではなく、「次世代ビジネスリーダーを育成するための教育プログラムは必要どころか、ますます重要性を高めている」と主張しているのである。
海外企業との取引を行う場合、相手方は、MBAはもちろんのこと、技術系のマネジャーは博士号を有するものが多い。彼らは、交渉相手の日本人マネジャーがこれらの学位を有していないというだけで、格下と見てしまうことは知っておいたほうが良い。ただ、学位取得のためだけに、経営系大学院で学ぶことは本末転倒である。大切なことは、仕事をしながら勉学にいそしむ数年間に意味を見いだすことである。
成功しているMBA取得者の共通点
これまでに、数多くの社会人大学院生に接してきた経験に基づけば、ビジネススクールでの学びがその後のキャリアにプラスに働いている人たちは多数いる。そして、彼らには共通点があることがわかる。以下では、それについて説明する。
(1)多読・多議論を通じての「経験至上主義」からの脱却
経営系大学院では驚くほど大量の論文や書籍を読むことが要求される。業務に追われて本や論文を読む時間などないと思っていた人たちが、入学後数カ月もすれば、読むことに違和感を抱かなくなる。そして、読書から多くの気づきを得るようになる。教材は体系的かつ網羅的に選定されているので、学習が効率的・効果的に進むからである。経験を過度に重視するのは日本企業の特徴だが、学びが経験となることはあまり注目されていない。
「学問とはわずかな時の間に、数百千年の人類の経験を受け取ることである」(ジャン・ジャック・ルソー)
「学べば学ぶほど、何も知らないということが分かるようになる。何も知らないと分かるようになるほど、もっと学びたくなる」(アルバート・アインシュタイン)。
「学べば学ぶほど、何も知らないということが分かるようになる。何も知らないと分かるようになるほど、もっと学びたくなる」(アルバート・アインシュタイン)。
二人の賢者の言葉から、学問とは、他者の経験を疑似体験することであり、学ぶことの継続が、自己成長につながることが分かるだろう。経験は大切だが、他者の経験と照らし合わせて、自分の経験の意味を考えなければ、薄っぺらな「経験至上主義」に陥ってしまう。
(2)「異種格闘技」を通じて自己成長する
会社では体験できない場が、経営系大学院では提供される。年齢、業種、職種、肩書が異なる同級生とともに学ぶことには意義がある。業界内・企業内での常識が、場合によっては非常識であることが分かる。発想自体や持っている知識の違いにも気がつくだろう。それを前向きにとらえられる人は、大所高所からの判断能力をさらに向上させ、オープン・イノベーションにも前向きになる。
これらの人に共通することは、人脈形成を受験動機としていないことがある。数年間ともに学ぶことで、自分が望み、相手も望む人たちの集団は自然に形成されて行くことを知っているからである。「異種格闘技」を通じて、切磋琢磨し、その結果として自分がネットワークの仲間に加えてもらえるようであれば、一生の友人を得ることもできるだろう。
(3)論文執筆経験から多くの気づきを得る
多くの経営系大学院では、学位論文やそれに準ずる論文を作成し、審査で合格することを修了要件としている。論文を通じて、メッセージを読者に伝えることは極めて困難な作業である。そもそも、長い文章を書くことは企業では推奨されてはいないので、文章を書く習慣が身についている企業人は極めて少数である。
日常業務において、勢いや爽やかな弁舌等を通じて、主張を相手に受け入れてもらえることがあったとしても、確実な証拠とロジックで、読み手を納得させる文章を作成することは極めて困難である。そのような文章を書くためには、過去の知識体系の整理、十分な情報、適切な分析と分析結果の理解が不可欠だからである。合格レベルの論文を書き上げた人には、実務でも必要となる能力が身につくだろう。また、学びのプロセスで多くの学びや気づきを得ることができる。
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